about English

2002年3月

契約社員として働いていた会社の契約更新をせず退職。

約3年勤めてみたがどうにも一般事務という仕事に興味が持てなかった・・・。

だから、次の仕事は急がずじっくり職種を考えようと思った。多少の退職金も失業保険もあったから 1年くらいバイトで食いつないで 資格をとったり勉強してみるのもいいかなと思った、歳も歳だし・・・。一般事務をやってよかったことはコンピューターが使えるようになったこと。もうちょっと仕組みがわかればなおいいかなあと思って まずはパソコン教室に行くことに決めた。

そのころ一番下の妹がオーストラリアに留学してて、行く前の準備で少し通った英会話スクールに 母も通いだしていた。母はもともと語学が好きで 私の小さい頃にも英会話を習っていた。ちなみにいまではスペイン語もやっている。その母がなにげなくわたしにその英会話スクールを薦めた。英語にはもともと興味はあって、英会話の本を買ったことや、友達のプライベートレッスンに体験参加したこともあったんだけど、どうもいまひとつピンとくるものがなく続かなかった。それでもあたまのどこかで いつかはやるぞって気持ちはあった。だから、今回こそ逃せない最後のチャンスかもしれないと、ちょっと思った。

2002年4月

というわけで、スクールに入会。書類上の手続きのせいもあって、実際には3月中に入会してたけど・・・。クラスわけのためのレベルチェックはアメリカンの女性の先生だった。What do you do?と聞かれて えっ私?!今?!あなたと話してるジャン!っいうレベルだった。そんなんだったから、やっぱりレッスンはそんなに楽しくなかった。だいたい 毎回 hi,how are you? て 言われても だいたい毎日元気だけど・・・って。いちいち答えるかんじで違和感があった。ただ‘こんにちわ’でいいじゃんって。あげく、what’s up? なんていわれたら、えー、何にもないよ・・・って、真剣に考えた。今思えば笑える・・・ははは!でも、それくらい異文化に体当たりしていたわけ。

ところで 初めてのレッスンは まだ日本に来て間もない若いブリティッシュの男の先生だった。新米先生の熱心さが伝わる授業だった。同じ日に受けた次のレッスンは ベテランのアメリカンの男の先生だった。こちらは マンツーマンになってしまいとても緊張したが 的確でわかりやすい授業だった。わたしの初日がこの二人に当たったのはとてもラッキーだった。あとあと知るのだが、彼らの先生としての質はとても高く もしプライベートでレッスンを受けるならこの二人のなかから選ぶって思っていた。もちろん今も。

この二人が今でも私をからかうストーリーがこのころできた。女性の月のものが来てる日に とてもおなかが痛かったので いつものhow r u の返事に そのことを言おうと思った。でも その単語を知らなかったわたしは 色々考えた挙句、my moon is coming と言った。ちょうど新米先生の授業だった。そしたらそれがやけにすっかり伝わり、新米の先生は顔を真っ赤にしてベテラン先生に報告した。そしたらそれは彼にもうけ、それからそのわたしの創作後はいまだに使われている。そのときの状況を彼らは今でも笑う。


2002年6月

外人や異文化にすこーし慣れてきたころ ひとつ上のクラスにあがった。レッスンにもすこし張り合いが出てきた。文法は中一でやった程度のことなのに 話すとなると簡単ではなかった。学校で習ったこんな簡単な文章が 実はこんなとこまで言い表せるのかとびっくりした。紙の上にしかいなかった英語が だんだん私の中で活動しだしたってかんじかな?

このころから スクール内にも顔見知りが出来てきた。このスクールにはレッスンのほかにチャッティングルームのようなものがある。すべてのレベルの人が集まるのでまったくレッスンとは全く雰囲気が違う。先生もそこでは生徒が主体ということで全くフリーでトークする。そこに参加するようになって‘外人’だった先生たちも‘人’って感じれるようになった。外人だからこうなんだ、という思いが 外人でも人それぞれで この人だからこうなんだ、と思えるようになった。あたりまえのことなんだけど・・・


2002年8月

もうひとつクラスがあがった。毎回の挨拶も適当にこなせるようになっていたし、先生たちとも多少リラックスして向かうことができるようになっていた。生徒の中に何人かの友達もできた。同じ頃に入って同じようなレベルの何人かとは 英語に関する色々な点で共感できることがあって よく意見交換をした。それにしても世の中にはこんなに英語を話せる日本人が こんなに身近にたくさんいたのかと驚いた。中でもとても上手に話す人と出会うと わたしもいつかこんな風に話せるようになりたいなと 目標が具体化されて刺激になった。そりゃあ ネイティブみたいになれりゃ それにこしたことはない! でも、それはあまりにも遠くて具体的に感じれなかった。とにかく、この頃 私の英語人生に影響ある大事な人たちに会った。

2002年10月

どっぷり英語にはまりだした時期・・・なぜなら、学生のころあんなにわかりづらかった文法がうそみたいに理解できた。なぞなぞが解けるみたいで楽しくてしょうがなかった!

どうしてなのか?はっきりとはわからない。でも、口に出して人に何かを伝えたいと思って、そのためにはどういう言い方をするんだろうと考えると、つまりそれが自然に文法について勉強していることになっていたんだと思う。ようやく英語で自分の感情面を伝えられるようにもなっていたから さらに どうしてそう思うかとか もっと深くわかってもらえるように説明できるようになりたかった。学生時代には想像もつかなかったくらい わくわくした気分で勉強していた。

2002年12月

英会話を習いだしてからはじめての年末年始。

夏ごろから何人かの外国人の友達ができたので このイベント時期に異文化体験をたくさんした。新鮮で楽しかった。遊んでるときはそんなに言語の壁に苦しむことはなくなっていた。クラスも もうひとつ上に上がった。適当な日常会話はできてきたのかもしれなかった・・・。でも この先のスキルアップには何が必要なのか、今まで以上の努力が必要なのではないかとなんとなく思った。それで まず自分の英語力試しをしてみようと思い、TOEICに挑戦することにした。ついでに英検もテスト慣れにやってみることにした。

2003年2月

TOEICのレッスンを受け始めた。会話と違い、TEXTに向かう時間が増えたが、そこで入った情報をできるだけ会話に織り込めて使うように心がけた。正直言ってテストのための勉強というのはあんまりおもしろいものではない、だけど取り込んだものを使って出す機会があるだけでかなり勉強意欲をキープできるものだと思った。幸いつとめていたカフェにはよく外人のお客様が来た。スクール以外で英語を使う機会が増えてきた。と同時にナチュラルな英語を知らなくちゃと感じていた。

2003年4月

留学を考え始めたのがこの時期。アルバイト生活も1年を越すと金銭面を含め社会復帰を意識しだした。と同時に、ではその前に この自由な生活の間に何をしとくべきなのか・・・?最初に興味のあったパソコンも いつのまにか英語と立場が逆転し資格だけとって辞めてしまった。やっぱり 英語をもうすこし形のあるものにしたいと思った。具体的なことはなにも考えてなかったけど、留学しにどこかへ行こうと 自分の中で決意した。

まあ、決意というのはおおげさかな?!とにかく 絶対にもっと話せるようになるぞって思っていた。それはある意味 言語に関する問題だけでなく わたしという人間の質の問題でもあった。たとえ言語を習得して会話技術を身につけても、それで話す内容が薄っぺらければちっとも楽しくない、ちゃんと人に伝えられるような自分の意見や考えを持とう、そうやって話せるようになろうって思った。だからもっと読む勉強もして 多少難しい英文からも情報を得られるようになりたかった。テスト勉強もそう考えると楽しくなってきた。うそみたいだけど、ほんとだよ! 

2003年6月

遠い親戚で 同じスクールの友達が9月からイギリスに留学することになった。身近にいたのでとても参考になった。いろいろ大変そうだったけど楽しそうだったし。

そしてわたしはアメリカに行くことに決めた。私のTOEICの先生がアメリカンだったことや、日本人の先生のほうは アメリカに留学経験のある方だったりしたことが大きく影響したけど 私自身 アメリカという国に興味があった。でも、はっきりいって何にもしらないに等しかったけど・・・。そうそう、マウイもアメリカなんだよね!アメリカは広い!!!そのころ わたしのレベルのチェックをしてくれたアメリカンの女の先生が帰国することになった。ワシントン州だという。わたしはそれまでワシントン州とワシントンDCの違いを認識していなかった・・・。その時がはじめてだった。そしてその時初めてワシントン州に留学することを考えた。彼女がとても素敵な場所だといろいろ話して聞かせてくれたから、すごく印象に残った。


2003年8月

英語を勉強して、2回目の夏がやってきた!冷夏とはいっても海の家は予定通りできていた。最近では海の家はおしゃれなものも多く、いわゆる昼間海水浴客用にござやビーチベッドを貸してくれる感じのものでなく むしろ夜をメインに 南の島風にビーチバーにしているとこがある。ときにライブをやっていたりといろいろなイベントがフリーに楽しめる。このあたりの土地柄かこういう場所には外国人もよく集まる。住んでいる人もいれば旅行中の人などいろいろでとても雰囲気がworld wideで楽しい。その頃わたしは 英語の微妙なニュアンスに気づきだし 自分もまねして自己満足の世界で楽しんでいた。たとえば、maybe。人によっても違うんだろうけど、勤め先のカフェではだいたいの外人が同じように使っていたからこれは。私が「パンにバターかオリーブオイルはいかがですか」と聞くと必ず バターかオリーブオイルという返事の前にmaybeをつける。「maybe…butter」ってかんじに。わたしの中ではmaybeは たぶんっていうあいまいの返事の感覚でしかなかったので 自分が食べるのに‘たぶんバターください’なんてなんか変だった。たぶんってオーダーされたらウェイトレスとしては困る。でも、明らかに口調は いわゆる日本人でいうところの‘うーんと そうね バターにしようかな’ってかんじだったのでそう飲み込んだ。結局私のこの飲み込みで正しかったんだけど、逆の立場でわたしがバターにしようかなって英語で言うときにmaybeは思いつかなかったに違いない。

それにmaybeではもうひとつ混乱したことがあって、外人の友達と飲みに行こうって話してて 明日にしようって私が言ったら maybeって返事が返ってきた。わたしのなかではたぶん大丈夫のほうにとった。だって、日本人の感覚では たぶんだめってときにはたぶんだめっていって、たぶん大丈夫のときには たぶんとだけいうイメージじゃない?ところが もうすっかり出かける気だった私と裏腹に その友達は全く約束もしてないと同然くらいの感覚だった。彼らのmaybeはだめにちかいらしい。まあ、これは人によってある程度の格差があるとは思うが、わたしのその友達の場合、maybeは99%がないをあらわす・・・。

というわけで このあとのお話はdiaryのほうへと続きます。