dairy volume1 in Japan

4月11日 出発当日!!!そして機内!!!

 当日は晴れ!やっと朝 荷造りが終了、ぱんぱんで かばんを閉めるのにだんなと二人がかりだった。

 昼には家を出た。付き添いは だんなと父と母。成田までの道はとてもスムーズであっという間につき とりあえずはお寿司を食べ収め。そのあと時間があったのでぶらぶらと本屋とかをみてたら アントニオ猪木発見!思ったより小さく見えたがやはりちょっとこわくて握手もサインもたのめなかった。でも、となりで立ち読みはしたよ、30秒くらい・・・?!

 そろそろチェックインというときにまさみさん到着。和君もありがとう!!!で いざ荷物をもっていったら 液体のにおいをかぐまで 細かくせっかく閉めたバッグを開けて調べられた。そして 次にこれがまた重すぎた!!!32kgまでなのに40kgある。小さいバッグは幸い11kgだったから中身をいれかえて一個32kg以下に入れ替え。あっという間に時間が過ぎてしまい、もう中に入れといわれた。まさみさんとお茶の時間もとれなかった・・・ごめんね!!!バタバタとお別れをして、ひとり中に入っていくとき もう少しで泣きそうだった。でもちょうど かず君がちょっとわけあって泣いてたので それがうまく働いて 逆に泣くのを抑えられた。

 ほんとに一人なんだっておもったら悲しくなった。と、、、思ったら大変!!!時間ないのに出国検査場は激込み!!!やっとそこを抜けたときにはもうゲートがしまる10分前!しかもゲートは一番遠く!!!走って滑り込みセーフだった!この間に、メールや電話をくれた皆様ほんとにありがとう!!!どたばた返事してごめんね!ほんとにこんなにあわただしいのは初めてだった!!!しかも席は5列のど真ん中!大好きな離陸の瞬間も今回はどーっとさみしくなった。でも泣かなかった。こらえてみた。一度泣いたらとまりそうもなかったし、ど真ん中の席でそれはいただけない・・・。両脇は中国系の人だった。そして、見渡す限り日本人がほとんどいない。日本語がまったく聞こえてこない・・・。オー、ハワイ行きとのこの違い!!!そしてまた、中国系の方々の英語のうまいこと。左は高校生くらいの女の子と母親、右はビジネスマンらしい、別々に二人。中国語と英語を同じくらい流暢に話していた。それにひきかえ、わたしの英語ったら・・・。Thanx と sorryしか言ってない気がした・・・。とにかく感じのとてもよいチャイニーズで 近すぎず 遠すぎないかたちで話しかけてきてくれた。おかげでさみしさを紛らわすことが出来た。それに映画は すっごい見たかった、school of rock! すごいおもしろかったよ!ホストの家にはすでにDVDがあったし。もうひとつ smile of モナリザだったかな、ジュリアロバーツの。これもよかった。けっきょくちっとも寝ないで過ごしてしまった。

 映画の合間に日記用にいろいろ書きとめてたら、ビジネスマンの男の人が なにをしてるのかって聞いてきた。HPに日記を載せてるって言ったら、作家かと思ったといわれた。 ネームカードを渡してみたら、きれいな漢字だとすごいほめてくれた。中国受けする名前らしい。もし作家デビューして有名になったらこのまま名前を使えって。ははは!

 そして今回!ななな、なんと、機内食が全て食べられた!!!産まれてはじめて!ちょっと自分にやる気をかんじた。(笑)とにかくあっというまにシアトルについてしまった・・・飛行時間約9時間。着いたその日はイースターの日。私にもかわいいイースターの贈り物が用意されていた。アメリカ第一日目が突然、それも徹夜で始まった!


現地編につづく!!


4月11日 出発日

とうとう 出発!荷物が重すぎてチケットカウンタ― で 鞄全部あけて大変だった!詳細はあとで!バタバタで今から出国検査!なりたまで家族とまさみさん、かずくん ありがとう!いってきます!


4月10日 出発前日

 とうとう、明日は出発。

友達がメールや電話をくれた。ありがとう!

ロスのMちゃんも連絡をくれた。明日だねって。

 昨晩は友達のご両親が日本に遊びに来ていて お食事をごいっしょした。

とてもすてきな方たちで 友達のもつ幸せな雰囲気の理由がわかった気がした。

人種にかかわりなく 人は素敵な人はほんとに素敵だし 逆にそうでない人もいるのだから、 素敵な人と巡り会えることを望む!もちろんだけど!

 明日は午後4時55分発。どんな人に出会うだろう・・・。


4月8日 出発まであと3日

 本当はこの時期には準備万端で行く前に余裕で勉強とかしてるつもりだったんだけど・・・。まったく予定とは正反対になってしまった!!!やっとお金をドルにかえたりとほんとにばたばたしている!!!

 それでも、なんとか英会話のレッスンを友達と約束して予約して、無理やり勉強した気になろうとしてみたりはしてる・・・。今日はずっと一緒にレッスンを受けてきた友達にお餞別をいただいた。


4月6日 出発まであと5日

 お土産はたいして高いものでなくてよいと 代理店の人に何度も言われた。留学経験者は だいたいのホストファミリーが 何人もの学生を受け入れてきていて、そのうち日本人はいっぱいだからそんなに日本のものを紹介しようときばらなくてもいいと言っていた。でも、わたしのホストの場合、初めての受け入れのみならず、はじめての学生受け入れ。こうなると少し話はちがってくる。急にもっとちゃんと用意しなきゃという気になった。

 外人の友達は 外人は意外とこけしなど日本ぽい人形を好むと言う。ほんと???まあ、ともかくいそいで小さい扇子にねこのおきものを用意した。それとあとは食品。むこうでうどんを作ってあげようと思ってる。ホストマザーからのメールの中で お互いの文化を知り合いましょうと言われた。彼女たちも日本を知ろうとしてくれていることがうれしい!


4月4日 出発まであと7日

 ‘I hope u have a wonderful birthday tomorrow’

 昨日ビッキーがくれたメールの中のひとこと。

そんなに喜ぶような歳じゃないけど やっぱり誕生日が来るのはうれしいと感じてしまう。(笑)先週のパーティでも本や、わざわざ編集したCDRやMDなどをいただき、英語の先生からはむこうで使えるようにとスリッパをいただいたり、いろいろとかこつけてはずっと祝ってもらっていて、今年は誕生日週間を満喫している。

 大親友のまさみさんからは 彼女の息子(6歳)が今年も選んでくれたというすてきなワンピースをもらった。去年は清楚の象徴のような真っ白なブラウスを選んでくれた彼が、今年はとても6歳の子が選んだとは思えない色っぽいデザインのワンピースだ!子供の成長は早いなあ・・・!?そして もう一人の大親友からは あのわたしの大好きなコニャックをもらった!去年はテキーラだったから こちらも成長したってかんじでしょ・・・!?メールもたくさんもらった。みんなありがとう!!!

当日は残念ながら雨だったので、ゆっくり起きだして 早めのランチを食べに出かけた。さすがに私の趣味を熟知しているだんなは わたしの大好きなレストランへ連れて行ってくれた。プレゼントは先週でかけたと時に偶然みつけて買ってもらった 帽子!大げさでなく本当にかわいい!留学に関しても全面協力してくれてるし、ウィンドのこと以外にこんなにお世話をかけることがあろうとは思ってもいなかった。ほんとうにありがとう!!!

そして家族といえば 毎年「いくつになった?」って聞く父、何があっても私の味方でいてくれる祖母、若いと評判だけど本当に私の産みの母、そしてやっぱり頼りに出来る兄弟、ほんとに全員が協力してくれて感謝してます。写真のお花はアレンジメントをしている母からのプレゼント。そして海外対応ドライアーは妹夫婦にリクエストさせていただき買ってもらいました、そしたらなんと私くらいの歳のワインもおまけにつけてくれた!!!どっちがおまけってね!みんな ありがとう!!!

やっぱり 誕生日を日本で過ごしてから行くことにしてよかった!ほんとにWONDERFULだったよ!


4月3日 出発まであと8日

 昨日ホストマザー、ビッキーに送ったメールの返事がきた。とてもフレンドリーな雰囲気だった。写真も添付されていて うれしいことに彼女の顔を知ることが出来た。

おうちのあるデモインという町が海や山、それにシアトルの町中までもそう遠くなく 周りには見る場所がたくさんあること、そして ご近所さんたちにも恵まれていてとても環境がいいなどと書いてあった。

そして、彼女の子供たちのこと。代理店の資料には書いていなかったが、彼女にはもう一人20歳になる息子がドイツにいるらしい。そして、18歳の息子のほうは大学のために家をもうすぐ出るという話だったが、どうも彼は勤勉らしく、高校生にしてすでに大学の授業を受け、単位ももらえる特別なクラスをとっているらしい。だから 寮のようなところに勉強が忙しいときはいて、時間があれば基本的には家に戻ってくるようだ。そして、犬。まだ3ヶ月のわんぱくワンちゃんだそうな。

そして、何よりの情報はわたしが彼らにとって、初めての下宿人だということだ。私のために部屋を塗り替え、家具を用意し、とにかくシーツから何からすべてが新品だって。どっちかっていうと ホストファミリーをもう長くやっている家に行くパターンを話にたくさん聞いていたので、私が初めてとなるとずいぶんイメージが違ってくる。彼女は私がコーヒーが好きかとか、朝食や昼食にどんなものが食べたいかなどを聞いてくれた。彼らにとっても留学生のすべてが初めてなんだから ある意味責任重大・・・。そのかわり それなりにかまってくれそうなのでよかった。せっかくなんだから仲良くなって 一緒に行動したい。

とにかくこれで準備は万端!あとは 荷物をまとめるだけ。彼女によるととても晴れて気持ちのよい季節がちょうどやってきたところらしい!!!


4月2日 出発まであと9日

やっと、ホームステイ先が決まった。ホストマザーは42歳の会計関係のお仕事をしている2児の母。18歳の息子はもうすぐ短大通学のために家をでるらしい。11歳の娘は一緒に住むことになりそうだ。そして、小型犬一匹。これが家族構成。そして、書類によると彼らの趣味は、キャンプやガールスカウト、シアトルで有名な魚市場の散策や、海辺の散歩、そして裁縫があげられていた。とりあえずは簡単な挨拶のメールを出しておいた。学校までの距離は遠からず近からず、っていうかんじだ。やはりバスを使うことになりそうだ。到着したときのお出迎えも彼らがしてくれるらしい。

今日は美容院に行ってきた。かなり早めに予約したつもりだったが、もう当日ってかんじ。気持ちいつもより多めに切ってもらい、3ヶ月もつようにしてみた。

その後は ‘身内の乗り’で仲良しのグループと カフェでバイトしてたときにお世話になった焼肉屋さんに食事をしに行き みんなでたくさんおしゃべりをした。こんなたわいのない時間が妙に切ないほど貴重・・・。結局 2次会と称してもう一軒入り、話し続けた。先ほどの焼き肉屋さんのマスターも来てくれたり、友だちはわたしのために歌を歌ってくれたりと なんか一生分の幸せを今使い果たしているのではないかと心配になるほど 楽しかった。ほんとにみんなありがとう!!!


4月1日 出発まであと10日


 昨日 やっとフライトが確定した。以前はオープンチケットが常識だったようだが、最近は3ヶ月以内か1年の単位でしかオープンチケットがないらしく、1年では値段が高くつくので 3ヶ月以上1年未満だと 片道航空券を使うことを薦められた。それで 片道だとあまり早くから値段が発表されないようで ぎりぎりまで確定しなかった。やっと決まって、少し安心。それも夕方発で向こうに朝つく。少し遠いマウイの気分で行けばいいんだ!そう思ったら気分がそーとー楽になった・・・(笑)

 3ヶ月半なんてちっとも長くはないけれど やっぱり仲良しの友達と離れるのはさみしい。このところ毎日友達に会ってる。みんなありがとう!!!さっきは、Mちゃんが 旅行かばんを貸しに来てくれた。いろいろ彼女の留学してたときの話をしてたら、なんか無性にさみしくなってきた・・・。ちょうど彼女の向こうで知り合った友達から国際電話が入った。その子は土曜に日本に着く。二人の電話でのやりとりを聞いていたら今度はなんか緊張してきた。自分ももうすぐ留学なんだなあって。帰ってきたら日本は夏だ!そしていまは ちょうど桜がほぼ満開で春まっさかり!楽しみなんだけど複雑な気持ち・・・。


2004年 3月 出発まであと2週間!

 こうやって日記を書きながらもなかなか気持ちは切り替わらないものだ。いまだ緊張のせいでソワソワし、期待半分不安半分だ。たかが3ヶ月位だけど私の中ではとても大きいことで ひとりでいくことがとても心細い・・・。でももうあと2週間。私の親戚で妹分だけど留学の先輩のMちゃんが確か似たようなことを彼女が行く前に言っていた。今思えばあの時私は はっきりいって彼女の気持ちをさっぱり理解していなかった。ただただ楽しみだろうなあとか 行けていいなあとかしか思いつかなかった。でも彼女はあの時 なんで行くことにしちゃったんだろうって そんなような言い方をしていた。今は痛いほど良くわかる・・・。彼女は行きの飛行機の中がめちゃめちゃ寂しく感じたといっている・・・きっとそんなこと言うのは私を脅したいだけに違いない!・・・そう思いたい。(笑)いやだなあ、大好きな飛行機の中で泣きそうな気分になるのは・・・。(泣) 

彼女とその兄貴分でやっぱり留学の先輩SーのふたりがわたしのFarewell partyを企画してくれた。忙しい中ふたりともほんとにありがとう!!!おかげでかなり気持ちがすっきりしだしたかんじ、そう、ほんとに行くんだって覚悟できた気がする。たくさんの友達が来てくれて直接励ましてくれたから とても心強く感じた。帰ってくる場所があるってなんてほっとするんだろうって、あったかい気持ちになった。そして反面、家族以外にも待っててくれる人たちがいるっていうのは ある意味プレッシャーで いつまでも甘えた気持ちではいられないって気におのずとなる。肩肘張るつもりはないけど 帰ってきたらみんなに ただいま、楽しかったよって心からいいたいから。ほんとにみんな来てくれてありがとう!そして MちゃんとSーにもう一度心から感謝です、ありがとう。お誕生日ケーキも用意してくれてすっごいびっくりした!そしてさらに二人が書いてくれたバースデイカード・・・!!さすが留学の先輩達、心にしみる文でした。本当にありがとう!!!わたしが向こうで ふたりが用意してくれたみんなのメッセージつきスナップ集を見て何回泣くか賭けるのはやめてください!(笑)すでにもう泣いてますから・・・。そうそう、  励ましグッズをくれた方々もほんとにありがとー!そしてそして、都合が悪くて来れなかったといって メールをくれたみんなもありがとう、また会いましょうね!!!


2004年 3月 出発まであと3週間!

先週末にはradicalsのgigがあった。昨年の5月から皆勤賞!毎回毎回 違う趣で、それでいてradicalsらしくてとてもすばらしい。先日練習スタジオにお邪魔させてもらったのだが、それぞれに個性が強いのに 曲が出来上がっていく様子は ちょっと外部のものにはわからないルールのようなものがあるのを感じた。前回は わたしが幹事を務めたパーティーで かなりの無理をきいてもらって演奏してくれたのだが こういう融通をパパッときかせられるところも さすがだと思った。今回は 外部から2人ボーカルが来たので またもや 新しいradicalsを知ることができた。とっても楽しかった。

さて 準備のほうはいまだに洋服選びに困っていた。なにせ 日本は花冷えでとても寒い日が続いていた。そんな中久々にイントラのバイトで1日中海に浸かっていたら 極端に寒さ恐怖症になった。やっぱりぎりぎりまで決められそうにない。

というわけで 留守中のだんなの生活上必要なものをそろえたり、いまからでもやっておける家事を済ませるようにした。といったところで たいしたことをいつもしているわけではないんだけど・・・。

週末には友達の結婚式の2次会に行った。ウィンド仲間だ。彼は多才で器用になんでもさらっとこなせるし 頭もよくおもしろい。奥様も去年からウィンドをはじめたので セブンシーズのメンバーもたくさん集まった。久しぶりにみんないっしょにわいわいと飲んだ。やっぱり古くからの仲間と飲むのはとても楽しい。3次会では 私の留学を励ます会のようにしてくれてとてもうれしかった。みんなと話していたら 今感じるソワソワした気持ちは なんとなくレースまえの緊張感に似ていることに気づいた。いざ始まってしまえば もう緊張も何も感じる暇なく レース以外のことは何も感じなければ考えられなくもなってしまうだが、始まるまでの緊張といったら私の場合人一倍だ。そろそろもう少し余裕がなくてはいけないんだけど・・・これは性格もあるみたい・・・。とにかくたのしかった。帰ってきて落ち着いたらまたレースに復帰するつもり。がんばって体力づくりしておこっと!


2004年 3月 出発まであと4週間!

 幸い歯医者さんの知り合いがいたのですぐに診てもらえて、チェックもしてくれた。さしせまっての問題はなかった。よかった。

 準備のほうは いまだに洋服が決められないことが気がかりだったが、まあまあチャクチャクとすすんでいるつもり。留学経験者の情報だと 着いてすぐに食べたいものや、体調が良くないときに食べるものを多少持っていったほうが安心だという。確かに日本の感覚だと歩けばコンビニの一軒はあるだろうと思ってしまうが むこうは 土地の広さからしてきっとそんなわけにはいかないだろう。それに いつもマウイでも思うのだが、日本食はけっこうスーパーにも売っていて 即席ラーメンとか焼肉のたれとか 日本と同じメーカーのものが置いてあって外見の差は英語かどうかくらいなのに、なぜか味が違う。体外 残念なことに おいしくないほうに違う。空気や水の差は味にもとても関係あるけど、どうもそれだけではないと思う。だから やっぱり少しレトルトの味噌汁とかをこっちで買っておくことにした。そんなに今まで日本食が恋しくなったことはないのだけど それはたぶん いつもコンドミニアムに泊まるから、半分は自炊だからなんだと思う。なんとか手に入るものでいつも作っているものに近いものは作れてきたわけで、ホームステイ先でもそれくらいのことはさせてもらえるだろう。でも、やはり疲れているときや体調の悪いときに台所に立つのは嫌だしね。


2004年 3月 出発まであと5週間!

 さてさて細かい雑用を済ませながらも、なんか気分はどんどん落ち着かなくなってきた。

洋服の準備が一番厄介だ。洋服ほど 居る環境に左右されると思う。どのくらいもっていこうか、どんなかっこで学校にいこうか、無駄なく不満ないコーディネイトを考えていると 容易に時間が過ぎてしまう・・・。それに日本にいても4月と7月じゃあ、かなり着るものが違う。足りなければ買えばいいとみんなに言われるのだが・・・それこそ、マウイにはいつもウィンドをしにいくので ほとんど水着とショートパンツにTシャツくらいしか使わない。でも私は少し余分のものも入れる。いざ足りなくなってほんとに買おうと思うと 確かに安いけれど そうそう気に入るものに出会えるものでもないから。気に入らない洋服が増えるのはとても嫌。だったら少し重くても自分のものを予備に持っておきたい。ただ今回は明らかに旅行とは量がちがう。留学経験者のアドバイスにより旅行用の洋服を入れる圧縮袋を買ってみた。

 それから美容院。まだ少し早いとは思ったが出発の一週間まえに予約を入れた。先週の経験から早く動いて損はないと思った。実際先週買うことにきめたものや 申し込んだりしたもののほとんどが まだ手元にはなかった。そしてもうひとつ考えていたのが歯医者。むこうでは歯医者は日本のような保険の仕組みじゃないらしくとても高いらしい。だから代理店のほうでももし気になる歯があったら診てもらってから行ったほうがいいと言われていた。特に気になる歯はなかった。が うまい具合に?!歯の詰め物が取れた。だからどうしても行かないわけには行かなくなった。

 そう、保険。留学用の保険にも入った。アメリカは学校によっては最低いくら入らないといけないっていうところもあって、留学用の保険の中にも米国留学用というのがある。私の行く学校は指定はなかったが私も一応それに入ることにした。


2004年 3月 出発まであと6週間! 

そろそろ本腰をいれて荷物の準備をしなくっちゃ。

まずは悩まずにそろえられる物からということで 使い慣れた基礎化粧品と常備薬などを買ってみた。でも毎回マウイへ行く度に そうそう日本のものじゃなきゃ嫌だと感じるものも減ってきたし 同じアメリカ、それも本土ならばもっと物はあるだろうし そんなに心配する必要もない気がした。

でも、一応次に 洗濯ネットと下着干しようの小さい物干しを買った。それから電池類。デジカメやWALKMANなどのため。携帯も色々考えたのだが、いまauなので一応着いてすぐ公衆電話を使うものめんどくさいのでグローバルパスポートの機種に変更してみた。まあ気分を落ち着ける保険のようなもの。もしかして余裕で公衆電話を使えるかもだけど、   もし バタバタしたり、すぐに電話したいときに無用な心配をしたくないから。ちょうど私の携帯もぼろぼろで変え時だったし。実はメールも海外からできるという ボーダフォンが一番魅力的だったんだが やはりちょっと高いし番号とアドレスを変えるのが面倒だったので断念した。

そう、電話。むこうでも とりあえず携帯を手にいれるつもり。ただ問題はそれまでの間とパソコン。パソコンについてはホストファミリーの家の回線状況が行くまではわからないし、普通の電話として使わせてもらうこともあるに違いない。いずれにしてもラインを借りるわけだから料金をクリアーにしなければならない。それで 公衆電話にも使えてどこの家庭の電話でも使える電話用のクレジットカードを申し込んだ。フリーダイアルにかけてカード番号と暗証番号を入れると通話できるようになる。そうして電話かければすべてそのカード払いになる。インターネットも設定さえすれば、そのカード払いにできる。

そしてカードといえばむこうに現金はあまり持っていきたくないので 不足したら買い物はクレジットカードでもいいし、あとはいくつかの銀行がもつインターナショナルカードでむこうでも日本の口座から引き出せるようにしておこうとおもった。でも、意外とカードは出来るのに時間がかかるということを忘れていて 一ヶ月前はぎりぎりだった。わたしとしたことが・・・。

それから次は国際免許。ホームステイの希望は 学校まで歩きまたは バスで行ける程度の距離。でも 休日にレンタカーを借りて運転するとも限らないし、いずれにしてもドライブはしたいのでとっておくことにした。二俣川にいけば即日発行なのだが、葉山だと2週間かかるということだった。

なんだかんだいってやろうと思うとやることはたくさんあった。ひとつひとつはたいした事じゃないのだけど 気分もソワソワしだし どうも効率がわるかった。(笑)





2004年 2月 出発まで2ヶ月

ビザ発行手数料は毎月最新のレイトにあわせて変わるので 面接の週の早々に料金専用番号に電話してアナウンスを聞いた。1月は10500円だったのに 今月は10800円になっていた。その金額を振り込み、そのレシートを申請書につけて本当に完成だ。

さて、当日。9時からという指定があったので 少し早めにでた。以前友達のお供で行ったことがあったが 入場するのにチェックが細かかったので早めについて損はないと思った。その時は 飲食類はいっさいゲート内に持ち込めなかったし 電子機器は携帯を含めすべて館内に持ち込めなかった。到着したのは8時40分くらいだった。すでに10数人がゲートの前に列を作って待っていた。私もそのあとに続いた。持っている資料のかんじからしてみんなビザ関係のようだった。9時になった。すでに私の後ろにはながーい行列ができていた。最後尾は隣の建物の前まできている。そして なぜかパトカーやら護送車みたいのがたくさん止まっていた。以前きたときにはいなかったのに。イラクへの自衛隊派遣とかその辺の問題が関係しているようだった。多少列が動いた。でもまだまだ入れそうにない。後ろのほうの人が 予約時間が9時なんですがと係りに訴えていた。でもお待ちくださいとだけ。みんな9時にするとはどういうことかと思いながら 警察官の動きを友達にメールしながら暇をつぶした。9時半近くにやっとゲート内に入れた。風邪で声がひどかったせいか 薬とのどあめは何も言われずもちこめた。でも、中に入っても列は続き、並んでいる間に 日本人のスタッフが書類をチェックして集めに来た。代理店を使っていないと思われる人たちは いくつかの不備を指摘されなおしていた。それにしてももう待ち時間1時間。寒くない日でよかった。10時ごろやっと館内へ。やはり携帯と電子辞書を預けさせられた。中では銀行の待合室のように列になったソファに人がいっぱい座っていた。数人ずつまとめて名前が呼ばれると 駅の窓口のようなカウンターにいき なにやらちょこっと話して帰っていく。あの ちょこっとはなすのが面接らしい・・・。白人の大柄の男の人がいる窓口に呼ばれた。英語かなっとおもったら、ぶっきらぼうに聞こえがちなかたことの日本語で どこいきますか? どうして行きますか? どのくらい行きますか?と聞かれた。簡単にこたえると、「はい じゃあできるまでだいたい3週間ね」とだけいわれて終わった。待ち時間1時間強、面接1分。でもまあ特に何事もなくさっさと終わってよかった。出てきたらものものしい警察車両も少なくなっていた。

その足で代理店のほうに出向き 出発までのことを簡単に打ち合わせした。航空券は代理店に手配窓口があるので申し込んでいたが、滞在が3ヶ月以上になると片道を買わなくてはならないので 通常のチケットを買うのとは違う仕組みらしい。もう少し時間がかかるということだった。

3日後。友達とさいたまアリーナにWWEのショーを観に行くことになっていた。少し早めにいこうと 昼前に家をちょうど出るとき 玄関のチャイムがなった。郵便屋さんだ。普通はポストに入れていくだけなのに 今日はすこし大きい書類があるからポストに入らないのだといって 配達物を渡してくれた。見ると 大使館からだった。なにか書類に不備でもあって送り返されちゃったのかなあと思った。おそるおそる開けてみると ビザだった!3週間のはずが3日できた!!偽者なんじゃないかとじろじろ見たが どう見ても自分のパスポートだった!!!代理店などを通した場合 通常は面接後に大使館側が行うDHSというアメリカの政府機関に送信するための個人情報のデータ入力作・・・RDSというらしい・・・が 面接前に代理店側で依頼出来るそうで 多少個人で書類を用意する人よりは早くできるらしい。それにしても 3日でできるなんて聞いたことがなかった。ビザはパスポートの1ページに印刷というか貼り付けてあるというか そんなかんじのものだった。そして 入学許可証の入った封筒がパスポートにホチキスでとめてあった。これは 留学中にアメリカ合衆国から出てもう一度入る時、必要なのだそうだ。入学許可証の下のほうに 先生が再入国を認めるというサインをする欄があって、そのサインがないと再入国できないそうだ。だからパスポートにくっつけてくれたらしい。とにかく、ビザがとれたのでとりあえずは一安心だった。


2004年 1月 出発まで3ヶ月

あらあらまあまあと 思う暇もなく年が明けてしまった・・・。

年末年始は昨年のように遊びまわることなくけっこう勉強した。・・・かな?

英会話のクラスがあがったら 急にテキストの文字が増えて びっくり。だからちょっと勉強する気が増したかんじ。正月休み明けにサイパンへウィンドをしにいって戻ったきたら 月半ばになっていた。そう、サイパンへは ちゃんとウィンドできるようになってから行ったのは初めてだったんだけど とっても気持ちの良いところだった。昔の記憶ほど暑すぎず 風は見た目より吹いていて、海以外他には特に遊ぶものもなく ウィンドには最適だった・・・WAVERでなければ・・・。英語という点では ほとんど必要なかった。みんな日本語が話せるし、韓国人や中国人が多かった。ただ 少し長い話になると 日本語を聞き取れないようで、そういう時は英語で話しかけて 返事が日本語で返ってくるという形が一番早くて正確に理解できた。

サイパンから帰ってきたら ビザの申請書類の件でまた変更があった。今度は 大使館の用意している3部の申請書のうち 今までは2部書けば 学生ビザの場合よかったんだけど、3部全部必要となった。どうしてこうも変更するのかは誰にもわからない・・・。

でも、とにかくなんとか書類が完成した。次は それを大使館に提出しに行く日を予約しなければならない。そのとき短い面接があるらしい。まずはFAXつきの電話機で専用番号に電話をかけ、音声アナウンスに従ってすすめていく。予約をとるための電話アナウンスにこの2月までは1000円かかった。それで その時はクレジットカードの番号が必要で、あとはパスポート番号、電話番号などの情報を入力していくようになっていた。そして、最後に予約が完了するとFAXで確認用紙が送られてくる。いちいち説明が長いのに加え、まずは英語、次に日本語でアナウンスされるのでほんとに面倒くさい。内容は簡単なので英語でも十分聞き取れるから 進めちゃおうかなっとも思ったんだけど、そこは結局小心者で 安全に一語一句最後まで日本語のアナウンスを聞いてからやった。(笑)

予約は無事2月4日の水曜日にとれた。


2003年 12月 後半

急に 1月に来るはずだった入学許可証が届いた。それで ビザ申請のための書類を用意しはじめた。まずは最終学歴の成績証明書を 学校にだしてもらわなければならない。電話してみると一部400円で入手できるということだった。次に顔写真。この規定がまた厳しく全体のサイズだけでなくどの位置にどの大きさで顔がくるかまで指定されていた。返信用の封筒に切手を用意したらあとは先回使った残高証明書と届いた入学許可証、それにパスポートを揃え、あとは一番面倒なビザ申請書。これはほんとやっかいで 3枚あるうちの 私は今回2枚書かなくてはならなかった。まあ、正確には私の場合 代理店が申請書を作ってくれるので それのための資料を提出するということだった。でもほんとに面倒で 今まで勤めた会社と上司の名前や 仕事内容などを書かなければならない。それから家族についても。離れている家族も含め全員の住所や生年月日など。履歴書が5倍面倒になった感じだった。

やっと全部がそろったころにはもう暮れも押し迫っていて 年明けにサイパンにいくのにパスポートが必要だったので、代理店に資料を送って申請書をつくってもらうのは年明けすぎにすることにした。

余談だが、このころ わたしの最初のクラスを受け持ったイギリス人の先生が帰国することになった。最後までほんとによく丁寧に教えてくれた。ほんとにありがとう。またいつか必ず会いたいと思う。 


2003年 12月 前半

そうこうしているうちに年末がやってきた。代理店から出発前の英会話レッスンの案内がきた。値段的には格安だったけど 特に自分がいっているのがあるのに重ねて受ける必要はないと思ったので 申し込まなかった。でも そこの代理店のオフィスには留学に関する資料の閲覧室があったので わたしの行く学校のある大学のことなどを調べに行ってみることにした。エッセイもチェックしてもらおうと思った。行ってみると ビザ申請の必要書類が少し変わってエッセイがいらなくなったという・・・。アメリカ大使館はしょっちゅういろいろ変更するので代理店側も大変なのだとは 前回のカウンセリングの中できいていたが せっかく書いたエッセイをなくすなんて・・・。でも、まあ エッセイを準備するおかげで新たな発見があって勉強できたのだからいいとすることにした。おかげさまでその成果か 英会話学校のクラスがやっと1年ぶりにあがった。ほっとした。


2003年 11月 後半

入金を済ませると許可証がやってくるはずだった。でも 急遽 許可証は入学日の3ヶ月前にならないと渡せないといってきた。まあ まだ時間もあるし こんなもんだろうと思った。これがこないことにはビザも申請できないということだったので、とくにすぐにやらなければいけないことはなくなってしまった。ただ ビザ申請にエッセイを英文で書かなくてはいけなかったので 少しずつ準備することにした。どうして留学するか、どれくらい行く予定か、帰る意思はしっかりあり居座らないことなどを書く必要があるらしい。

ネイティブの友達に相談しながら少しずつ書いてみた。でも なんだかまだ人事だった。留学するのは自分なんだけど、あんまりエッセイに実感をこめられなかった。それより、人目に触れることを意識して文章を書いていたら 自分の英語力の弱点が浮き彫りにされた。ふと考えてみたら来月で英会話スクールの今いる自分のクラスも一年になる。そろそろ 進歩をしないとだめなんじゃないのかなと気がついた。今年はテスト勉強のおかげで 文法力は自分なりにも進歩したと認めていた。だからそれを使わなくちゃ・・・。向こうの学校では ディスカッションやレクチャーなどが授業の半分を占めているという。日本人には苦手な分野だ。私も日本人として 決して考えを持ってないわけじゃないと思うけど そうそう人に自分の意見のすべてを発表しなくてもいいんじゃないのかなって思っていた。‘あ、うん’の呼吸とか 相手の立場や気持ちになって考えられる人徳などは奥ゆかしいものじゃない!ただ そういってなんでもなあなあになだめてしまう傾向もあるなあとも思う。エッセイを書くにあたって、浮き彫りにされたのは 私の英語力の弱さだけでなく それより 説明力、表現力の弱さかもしれないと思った。そこで 留学するまえに もっと物事を表現し説明する練習をしようと思った。そのためには思考回路もすこし調整して シンプルでクイックを目指すことにした。なぜなら、英語はさきに述語部分が来るわけで すばやくとりあえずの簡単な考えをまとめてからでないと 主語しか、ときには主語さえ、そう、一言も言葉を発せない。だから 当たり前のことでも、だれもが言えることでも 文章にして口にしていくことをこころがけた。そういう順序で話し出すと 自分の意見というのもまとめやすくなった。つまり 人に伝わりやすくなってきた。難しく一人で考えることはない、一人で最初から結論を出さなくてもいい、これがコミュニケーション、人と話すってことではないかなって ちょっと見えてきた。


2003年 11月 前半

学校を決めた次は 日程。余裕を持ってやはり来春あたりからの学校の予定を調べてもらった。そこの学校はほぼ2週に一度の割合で入学できるようになっていた。4月は第一週と三週。自分の誕生日が一週にあるので せっかくだからそこはバタバタせずと思い 第三週からを選ぶことにした。(笑)次はコース。私の選んだ学校は一般コースと一般集中コースがあり、一般は週25時間、集中のほうは週30時間のクラスが組まれていた。基本的には25時間がどの学校も平均のようだった。つまり集中コースはあまり選ぶ人が少ないようで 特別価格のパッケージプランのようなものが設定されていた。もともと勉強しにいくわけだから、いっぱい勉強できて安いに越したことはないと思い、ほとんど迷わずそっちを選んだ。ここまで決まれば あとは申し込んで入学許可証を申請する。その申請には残高証明書が必要という。それも30万×滞在月分の。学生やフリーターは保護者のものでもいいが その際には保証人誓約書のようなものを添付しなければならない。もちろん英文。とにかく 学校側はお金さえ入ればよいわけで それさえ揃えば許可はすぐにおりる。許可がおりたと同時に請求がきた。


2003年10月 四週目

2回目のカウンセリングに出かけた。先日の彼女が専属の担当だった。ピックアップした7,8校を提示した。ワシントン州のほうでは3校。その中には彼女の通った学校もあった。その学校のことはもちろん、その他2校もサークル活動の関係や友達の関係などでいったことがあるらしく よく知っていた。彼女のアドバイスによりそのうちの一校は少し治安のよくない場所にあるということで却下した。後の二つは大差はなかった。ワシントン州以外の場所のことはNY近辺ということもあって、値段的には少し高かった。きちんと予算表を書いてくれたが それをみるとやはり勉強が目的で贅沢できないなと思った。

色々な条件をまとめて、最終的に彼女と同じ学校を選ぶことにした。彼女の話が具体的で安心できたのは大きかった。そして何より 彼女の話の中で この学校には大学のほうとの提携の関係でとてもよいシステムがあることがわかった。大学の学生がボランティアで語学学校の生徒の会話(カンバセーション)パートナーになってくれるというものだ。クラス以外の時間、放課後や週末の課外授業のときなどに専属で会話し助けてくれるというものだ。語学学校内にはネイティブはいないわけだから英会話という点ではとても大事なシステムだと思った。言ってみれば無料の個人英会話レッスン。まあ、どんな子にあたるかわかんないけどね。彼女の友達の一人は それで知り合った学生とつきあってたらしい。

とにかく 決めてしまった。


2003年10月 三週目

本を読みすすめていくと どこもかしこも魅力的だった。ただ、学校の種類という点で考えると どこでもいいというわけにはいかなかった。おおまかに 私立で独立した建物にある語学学校と 私立でも大学と提携していてキャンパス内にある語学学校、そして大学付属のもの。基本的にキャンパス内のものは 大学の施設を利用でき ゆくゆくはそこの大学のクラスを受講できるようになるための英語力を身につけることが目的のようだ。

でも 大学付属のものは 色々と規定があり 日程や滞在方法などが指定されていることが多かった。大体は寮に入り、4月の上旬から夏まで決まった日程が組まれているといったかんじ。そのかわり一番安い。それに比べて、私立はほとんど毎週新入生を受け入れていて 個々にあわせて就学期間もきめられる。短くは1週間くらいの人もいるという。金額はまちまち・・・。でも、やはりまずは条件からして 大学内の私立校に行こうと決めた。そうすると選択肢が少し狭まった。さて、場所。はっきりいって ここは嫌だというところはとくになかった、そこまで知識がなかった。基本的には勉強しに行こうとしか思ってなかったから とくにウィンドが出来るところとかとも考えてはいなかった。ただ東でも西でも海沿いがいいと思った。NYにも興味があった、音楽や演劇や美術などあらゆる芸術の中心に身をおいてみたいという気もした。ただ 勉強に集中するには あまりにも日本の生活環境とかけ離れていて余計な気を勉強以外にたくさんつかうようなところはよくないと 友達からアドバイスがあった。治安面でもそういえる。西のほうがいいんじゃないかって誰もに言われた。そこでふと思いによぎったのはワシントン州だった。なんとなく今回縁があるし・・・?!とにかくワシントン州でめぼしい学校をピックアップしてみた。でも NY近辺のものもいくつか選び出しもした。


2003年10月 二週目

カウンセリングの日。けっきょく何の情報も下調べもないままでかけた。受付にいくと「アメリカへ留学ご予定ですよね。」とだけ確認された。「はい」と答えるとすぐにアメリカ担当だという女の人がやってきて奥に通してくれた。明るくて感じの良い人で、どんな留学をのぞんでいるのか 全く漠然とした私の話を辛抱強く聞いてくれた。そして、彼女は自分の経験を話してくれた。なんとも偶然なんだけど、彼女はワシントン州に留学していたらしい。最初ロスの学校に入学したが、日本人の多いことや 遊ぶところが多いことが 勉強への集中力を欠けさせたため、環境を変えようとワシントン州を選んだという。ロスから比較的近いことや治安のよさもあってそうしたらしい。彼女の話はとても興味深かった。生の体験談だし、なにしろとても充実していたかんじをうかがえた。それも、あくまでも勉強を中心にして 余暇をそれ以外の活動にと積極的に活動していたようで とても共感できた。そして彼女は 各州のだいたいの特徴やどんな学校があるのかを簡単に説明してくれた。まずはどの州に そしてどんな学校にいくか決めるために 彼女が説明に使った本を購入し もっと自分で調べてみることにした。





2003年10月 一週目

気がついたらもう秋。前述の友達もイギリスに行ってしまった。わたしもそろそろ情報収集しなければと思いはじめていた。インターネットで検索するといろいろな代理店が出てきた。ほんとにたくさんあった。アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダなどは特に多く それぞれの会社にどんな差があるのか判断するのはとても難しかった。利用した人のコメントなども 検索しだいではいろいろ出てくるのだが こればっかりはホントに個人の主観だし、大学生前後の年齢の人がほとんどで少しわたしの望むものとは違った。

大手の旅行社はどこも留学用の窓口をもっていた。でも、やはりこれといってピンとくるものがなかった。なんのあてもなくずるずると検索を続けていたら 海外旅行ガイドブックでおなじみの某社関連と思われる留学代理店のページにたどりついた。わたしも愛用しているガイドブックだし ページ上にある簡単な申請書で申し込むだけで無料のカウンセリングが受けられるという。とりあえず 某社の場所も新宿の知っているオフィスビル内だったので 申し込んでみることにした。実際、だらだら調べ続けるのもいやで何か成果として行動をしたかったタイミングにうまいこと行き着いたホームページだった。

申請書を送信したら、返事はその日のうちにきた。翌週の私の希望した日に予約がとれた。