第一章

Vol1

2000年を迎え新たなる時代が幕開けとなったが、ここ湘南七里ヶ浜は
元祖湘南というべき歴史的場所である。我々七里ヶ浜のローカルにとって
古きを知り新しきを迎えるコンセプトに乗っ取り、元祖たるスタイルを辿ることで
本物のスタイルとはどういうことか歴史を紐解き紹介しようと思う。

序論
七里ヶ浜は、あの七里ヶ浜哀歌に歌われる「真白き富士の嶺緑の江ノ島」で始まる
悲しい遭難事故を詩に歌うほど湘南では荒れる海である。
これは、今でも言えることで大西といわれる強い西風がひとたび吹けば、
穏やかな海面はウサギが飛び、くじらが現れるようなうねりがやってくる。
湘南では、西風は荒れる印なのだ。
海底は、リーフなので裸足では足を切るしどうにもやっかいなビーチなのである。
また、海岸工学の文献では日本のサーフィン発祥の地として明記されている。
戦後まもなく進駐軍の保養地として七里が浜は、多くの米国軍人がバカンスに訪れており
その時に波乗りを始めたのが、日本における近代サーフィンの始まりということだそうだ。

戦後昭和40年代まで、七里ヶ浜周辺は湿地帯で鎌倉の柴崎牛乳店が経営していた
牧場があった。また、乗馬場もありなんとものどかな保養地というところであった。
そこに、大手デベロッパーが開発し現在の住宅地をメインにした町ができた。
昭和30年代後半から40年代は、七里ヶ浜ホテルやゴルフ場があり、夏にはかつて
の芸能スターであったアイジョージやバッキーあたりが演奏していた。
このころは、いわゆるみゆき族なる今のサーファー第一世代の頃であり、
湘南では茅ヶ崎のパシフィックホテル、鎌倉の大海老、江ノ島のトニーローマ、
逗子のなぎさホテルあたりで、おねーちゃんとぶりぶりやっていたようである。
しかし、これも一握りの金持ちのボンボンが主体であった。
何せ、車がなければ勝負にならない。名車ブルーバード510とかいすづベレッタ
のオープンなんて乗ってサクサクやっていたのだろう。。

解説(JFN)
パシフィックホテルも、大海老も、なぎさホテルも、七里ガ浜ホテルも、現在は
もう、その姿はない。時代は確実に変化しているのだ。
今後、写真も含めていろいろとこのコーナーを充実していこうと思います。
番犬の半生を描いた抱腹絶倒のストーリーになると思います。

Vol 2

七里ヶ浜で育ったがき達


番犬は、昭和40年からこの地に住み始め、かれこれ35年になる。
(2000年1月現在)
昭和40年代は番犬がまだ、子犬時代でまったくもってこの地を
縦横無尽に駆け回った時であった。
住み始めた当時は、なんとこだまが聞こえるほどの静かな場所であった。
それだけにお店は、江ノ電稲村駅前にある今市しかなかった。
ここは、よろづ屋でなんでもそろった。
肉屋は、はぶかがあり、出前は偕楽の中華ぐらいしかなかったが、ここのチャーハ
ンはなにげうまかった。グリーンピースが3つほどチャーハンの頭に転がっていた


その後、七里ヶ浜商店街に酒屋の高山商店や今は無き高砂寿司、薬局のつとむなどがパラパラ開店した。
西友はずいぶん後でできた記憶がある。なにせ、建築中の西友で番犬は遊んでいた。
西友の駐車場では、ローカルのガキどもが集まり野球をやっていた。
このころ、稲村の聖路加幼稚園に通い、稲村小か湘南学園に進むのがローカルの進学のあり方であった。
聖路加幼稚園の通園は、歩いて通った。
今に思えば随分ハードな通園であった。一山降りて麓の稲村まで山道を降りていくのだ。この山で、ローカルのガキどもとカラスウリの投げ合い、すずめバチの巣攻撃事件、ゴルフ場乱入事件、遭難事件などさまざまなドラマがあった。

絵画教室事件
当時どういうわけか、稲村に絵画教室にみんなで通っていた。
どうも、じっとしてならないやつらばかりで何かにつけて遊びに結びつけた。
その極めつけが、肥溜めおしっこである。伝説としてこの遊びが後輩に受け継がれ
、現在では法律で禁止されてしまったが、一発勝負とも言えるその緊張感と勝利し
たときのウィナーとして勝ちどきを上げる瞬間がたまらなかった。ルーザーは、そ
の場で退場せざる終えず、家に帰ったからの身内からの叱責の雨あられは、リベン
ジせずにいられない自分に気づくのである。
その遊びは、絵画教室裏の肥溜めをメイン会場とする。かぐわしきうんち液体の溜
まった真ん中に桟橋があり、ここに2人向かえ合う。両手をパーにしてあとは、お
しっこするのだ。おしっことっても、放尿ではない。押すのだ、タイミング良く相
手の手をゲットできれば、押すべし、押すべしなのだ。しかし、万が一、はずれる
と自分自身のバランスが崩れ、肥のえじきのなる。この緊張感は、がきとはいえ、
いっぱしの勝負師なのだ。
番犬は連戦連勝であり、ウインドサーフィンでいうロビーナッシュ、波乗りでいう
とロペスのようであった。しかし、いつかは引退しなればならない。番犬もその時
がやってきた。死のダイブ、肥はなんとも言えず暖かかった。においさえなければ
、バスクリンかいやいや、箱根の温泉に浸かっているようだ。どうも、発酵して暖
かかったということを後に知った。そのおかげで、うんこネタが大好きなローカル
のがきどもであった。

解説(JFN)

昭和40年代の始めの頃の話である。海岸道路はまだ有料道路であり、クルマ通りも
少なかった。高度経済の中、田中角栄が日本列島改造論を打ち出していた。
番犬はとにかくガキ大将だったのです。しかも、家に帰るとコワイおやじさんが
いるので、家に帰りたくなかったそうだ。

Vol3

鎌倉山遭難事件


これもまた、無謀と言える下は年中の幼稚園、上は小学校4年という布陣で昼頃から鎌倉山制覇の野望に燃えた10人が探検に出かけた。

しかし、洞窟で2人脱落、日没による視界不良により3人が居なくなった。残りの人数でなんとか極楽寺の八百屋にビバーグした野望隊は、たった10円でバナナを5本もらった。
そして、電話を借りて遭難の一報を行い、各隊員の家族より血祭りに上げられた。
脱落した連中は、生命力のあるものは、家路につき、そうでないものは未だにその消息がつかめず30年もたってしまった。


フルマラソン事件
季節は、まさに夏、七里の海水プールで遊んだ裸族親衛隊のがきどもが、番犬宅で風呂に入っていた。
夕方となり、近所のおばさんが買い物帰りで結構回りは、いそいそとしていた。
もうひと勝負しようかという意見が、がきどもから発せられここで、裸族たるもの、裸一貫勝負ということになった。
ふと、外を見ると角の電柱に何か書いてある。
風呂から、電柱までおよそ50M。。よし、フルチンで誰にも見つからず書いてある字を読めたら王者の称号を与えるという大変な名誉な取り決めに?一同勝負魂に火がついた。
じゃんけんで負けた通称クルッターという番犬の友人が、第一走者となった。
名前のごとくクルッターように、風呂場からフルチンでダッシュ、誰もいないということで全力疾走、ところが履いていたサンダルが悪かった。ビーサンの鼻緒がぶちぎれ転倒、そこへ、近所の同級生の女の子とお母さんと登場したのだから、幸運といったらない。
ポコチンだけでなく、小菊まで見られ、その後お母さんから苦情の電話を丁重に頂き我々待機隊は事なきを得た。

しかし、クルッターにとってこの事件により、初恋が見事に崩去ったようであった。
その同級生の女の子に嫌われたのは言うまでない。
これを世に言うフルマラ損事件なのである。
その後、大学生になったクルッターは、その女の子にリベンジし積年のうさをサクサク攻撃で頂いたのであった。


秘密基地。ひかりのなかの留美事件

それは、七里ヶ浜の一番奥に位置した工事中の敷地に立てられた土管とコンパネで作った我々ローカル小僧の基地であた。
ここには、ビップルームがあり貴重な展示物が貼ってあった。
当時のがきどもにとって、裸のおねーちゃん写真というのは、崇拝するにあまりある代物で貴重品であった。

そして、その日は、突然やってきた。
古本出しの日に町中をチャリで走り回るのである。だいたい、大学生のあんちゃんのいる家を皮切りに回るのであるが、大抵一纏めにした古本のブロックの一番上には、難しいまったく興味のない週刊新潮あたりが乗っかっており、真ん中当たりに貴重本があったりするのだ。
基本的にパンチとボーイが多いのだが、たまにとんでもない極上本があることがある。
まだ、ビニ本前の時代だったが、当時のエロ本2大大手、アリス出版、LC企画からの極上写真集「ひかりのなかの留美」発見したのであった。
この本を発見した、チビカナくんはまさに勝ち誇ったように基地に帰還し、我々はこれを美術館としてビップルームを作り、留美ちゃんの写真を丁寧に貼ったのであった。

選ばれしものだけの特権、その隠微な留美部屋をひかりのなかの留美部屋と名付け、みごとは胸とみえそうでみえない謎のホワイトホール、なんとも創造たくましくなる瞑想ルームであった。

遊びに関してはいえば、このがきの時期に培われた興味のあるものは何でもやってみるという、しかも必ずギャグセンスよろしくのスタイルが基本なのである。まさに、これが元祖湘南スタイルの基本なのだ。。

解説(JFN)
空地になぜかよくエロ本は捨てられていた。雨に濡れてふやけてる場合が多いのだがタマに極上の本があったりする。空地には少年の欲望がおっこちているのだ。とある日、七里ガ浜の駅の上の方の空地を通りかかったら、女性物の下着が大量に捨ててあった。誰か盗んで楽しんだ?あとに捨てたのだろーか?

Vol4

(1月30日更新)

裏湘南の住人達

七里の勝新さん

七里ヶ浜は、元々小さな村がありなかなか強者が先住者としておられた。
その中でも、親分衆の一人として現役ばりばりなのが七里の勝新である。
七里の勝新、七勝さんは行動パターンは、ほとんど本家勝新と変わらぬ楽しく怖い親分なのだ。
七勝さんは、七里のゴルフ練習場が出来立ての頃、まだ若い衆であったが来るバイトのねーちゃんを根こそぎ食べつくした大食漢でもある。
また、お祭り好きの七勝さんは、七里のお祭りでは御輿の親分なのだ。昨年亡くなった珊瑚のおやじマカオの帝王氏が大親分といった地元の祭りである。
そして、我々ローカルのがきを土地っ子というのだ。
ある時、番犬がウェイブをしている最中に、七勝さんの友人が操縦したジェットスキーと衝突し、番犬のボード大破炎上、木っ端みじんとなった。浜に上がった途端、七勝
さんの一派で子分格が番犬にいちゃもんをつけてきた。
これに、驚いた七勝さんは、一言「土地っ子はだめだ!」でニューボードを注文してくれたのだ。しかも、そのニューボードは、大破したボードの倍以上の値段はするカスタムメイドであった
。恐るべし七勝氏である。

元プロレスラーのわき先生


氏は、若い頃あのルーテーズとタッグを組んでいたこともあるとうわさされる巨漢でありながら、今はやさしい接骨院の先生なのである。
ある夏の朝、大きなディンギーヨットをワンボックスに乗っけてやってきた先生が、何事も無かったようにその、150キロ以上はあろうヨットを頭に乗っけて浜に降ろし、ウインドサーフィンのようにセッティングして一人で沖に出ていた。
一部終始を見ていたギャラリーは、唖然、呆然、当然という感じで感心したものであった。
また、ダイビングを楽しんでいた氏をあろう事か、ジェットスキーでひいてしまう事件が起きた。さすがに、やられたか?と回りの取り巻きが心配していたら、なんと、でかい声で「痛いじゃないか」
といって、ジェットスキーに乗り込んでいるのである。引いた若は、失禁し気絶したことはいうまでもない。本当に起こらすと誰も止められない先生なのだ。。

解説(JFN)
勝新さんは、先日の珊瑚礁のオヤジさんの追悼式でも活躍されていました。またジープで七里の階段を上ろうとしたツワモノでもあります。わき先生は最近七里で見かけませんね。とにかく、巨体に胸毛で見ただけでもただもんではないと、恐れおののいてしまうのだが、ホントに優しいヒトです。

Vol5

(2月5日更新)

はぐれ雲花火師


七里ヶ浜の主(ぬし)の一人として、その名が知られている氏は、出で立ちはライオンキングのような白髪の長髪、全く洗わないソアラ、そして夏は1ヶ月以上もバカンスしているはぐれ雲的私生活、しかし、日本を代表する科学者でもあるから世の中わからない。
  そして、一度海で行方不明者が発生し、消防の連中が発見できず途方に暮れると氏に援助を要請され、潜る段取りを始めるのだ。
だいたい、行方不明者は死亡しているのだが、10分も経たないうちに、発見する抜群の推察力と技術は、我々ローカルの誇りなのだ。
  そして、何事もなかったように淡々と浜に上がり、一服つける氏の姿に、人生の諸行無常を理解している数少ない人生の過ごし方の達人としてリスペクトされている。
  また、器用な手先で自前どころか奥方、友人、番犬のでかでかウェットも作成してしまう。
  まったくもって、天は何物ものを氏に与えたかと感じるのは私だけでないはずだ。
  さらに、夏と正月は花火大会でしかみられないでかい花火をたばこで、ちょちょちょで打ち上げてしまう度胸のよさは、その季節、時々の節目の風物詩なのだ。
  昔は、よくホラをふいていた氏。ウソをいうのではなく、山伏のように本当に洞貝を吹いているギャグセンスもちゃんと持ち合わせているローカルおじさんなのだ。
  その氏のおじいさんは、うわさでは明治天皇とまぶ達だったり、ちょっと出かけてくると家族に言い残して何年も帰ってこず、何をしていたかと思ったら中国で馬賊をしていたというなんともすさまじいスーパーじいさんを持っている氏でもあるのだ。

絶倫ライダー海坊主


海坊主は、元プロタイバー、今は公務員という異色な経歴をもつ。海坊主は、頭つるつるで見るからに怖いイメージがあるが、根はやさしいじいじいである。
がきのころは、トライアルバイクでトップアマだったり、ウインドサーフィンもすぐ手なずけたり、料理は和洋折衷なんでもプロ以上の腕前のマルチじいじいだ。
しかも、あっちが絶倫。。朝、昼、晩とすさまじいローテーションを諸ともせずがんがん突きまくる強さは、やはり湯河原に購入するスッポンエキスと生き血から来るのだろうか?
また、貝のコレクター、石の採集など趣味の多さは日本一であろう。。
また、温泉マニアでもある。

解説(JFN)

花火師も海坊主もウインドサーフィンコーナーで紹介しています。この2人は世間一般から見ればかなり変わってます。しかし、物事の本質を捕らえて本当の意味でのライフスタイルを確立しているといえましょう。花火師は七里に来る人は見た事ない人はいないくらい、必ず海にいます。ほとんど旅行もいかず、夏は長期休暇をとり、ほとんど毎日、七里にいます。しかも、頭のよさは天下一品。海坊主はなんといっても、料理の腕がスゴイ。こだわりのカタマリのような人であり、ウマイ食材には金を惜しまず投資する。彼の家で開かれる夏のバーベQと冬の鍋は我々ローカルの楽しみであるのだ。  

Vol6

(2月12日更新)

七里ヶ浜商店街の古株のお店

高砂寿司
今は無き、高砂寿司は七里ヶ浜商店街の初代主としてここのおやじが君臨していた寿司屋であった。

当時(20年以上前)は、横浜に支店を構え手広く経営していた。
正統派寿司で、天ぷらもやっていた。ここの天丼はでかいえび2匹のった豪華版で、ピーマンとのりが乗った濃いめのたれで頂く丼物だった。
最盛期は、従業員が6人ぐらいいて、遠くは東京からわざわざ食べに来る客もいた。
ここのおやじは、特攻隊志願だったこともあり、質実剛健おやじだったがのちに、焼き肉屋に転身した。現在は、さらいになっているところにあった。すでに、故人である。

お魚亭
ここは、魚康という屋号で魚屋を商店街で営んでいたが、割烹料理という寿司といわしを中心にしたなかなかの名店である。
ここの主人は、番犬の弟ピエールと同級生で黙々と仕事をこなすタイプだ。女将は、主人の母ぎみで苦労人でここまでお店をもり立ててきた。このお店は、ネタが新鮮なのは当たり前だが、いわしの大葉揚げ、つみれ汁が絶品。
ぜひ、一度食べてほしい。

つとむ薬局
一番の古株のひとつである薬局である。漢方にくわしい主人とお客さんに信頼も厚い。
女将さんも如才なく明るくいい人である。ただ、主人は酒が入ると結構荒れるようだ。

高山商店
七里ヶ浜の飲料を一手に受け持つ酒屋である。結構わがままのきくお店で銘柄がわかればなんでも仕入れてくれる。
配達も迅速で地元の信頼は厚い。看板になぜか時計が付いている。
むかし、グリーンサンズというビールとレモネードを割ったような飲み物があり、番犬は好んで飲んだ。もう、15年以上前の話だが。。


有心堂書店
今は無き書店だが、ここでは100円プラモを良く買った。せまい店内は子供のたまり場でここの主人がよくいらいらしながら注意していた。

しかし、結構商売にはなったようだ。
中学生ぐらいからは、エロ本購入ため、抱き合わせ購入作戦をして売ってもらったなかなか融通の利く書店でもあった。

解説(JFN)
高砂の天ぷらはかりっと揚っていてとてもうまかった。海苔の天ぷらがあんなにおいしいとは思わなかった。有心堂の前では恒例の夏祭りで我がRadicalsブースがあるところだ。今は引退して伊豆に移り住んでいるらしい。シャッターが閉まっていてなんだか寂しいのだ。ここの本屋はよく利用したのになあ。

Vol7

天六
商店街に天ぷら専門店として開業していた。今は更地だ。ここのかき揚げ天丼は絶品だった。

白魚をかき揚げにしたもので大変うまかった。お店ではあつあつを揚げたてをカウンターで食す。
もう、廃業して10年以上経つ。

サン理容室
ここは、元々トントンがあったところにあり、その後お魚亭のとなりに移った。明るい女将さんと腕のいい旦那でお店を切り盛りしている。
結構、遠方からの常連もありお客の信頼も厚い。質のいいシャンプー類を使用しているので敏感肌の人でも安心だ。パミロールという値段は高いが効果の高い製品を導入している。

アンセルモ
イタリア料理屋としてわりと新顔のお店である。主人は、剣豪で日本を代表する腕を持つが、ひょんなことから料理人になった。カンツォーネをバンバン歌いその明るいのりで、本場イタリア料理を作る。元は、あの奥田さとるくんのお店2WMSがあったところだ。

2WMS
アンセルモの前にあったサーフアンドウンイドのお店だ。奥田さとるくんのお店で、我々地元のがきどもが大変お世話になった。しかし、お店というよりはクラブに近い乗りでとなりの喫茶店からコーヒー出前をしてもらい、だべっていた。七里の古いローカル達でウインドをやっている者達は、みんなここのお店に出入りしていた。前身はボンサーフボードでサーフモデルも発売してい
た。考えてみれば商店街にサーフショップがないというのも不思議である。

珊瑚礁
言わずとしれたポリシンアンレストランということだが、元々は雪印フルーツパーラーだったのだ。ここの主人がカレーを研究し一代でここまですばらしいお店にした。現在は、2代目が継いでいる。昔は、地元のおばさんがチョコサンディーをぱくついていた普通の喫茶店だった。番犬もよくソフトクリームを食べに行った。



トントン
ここのお店も結構料理自体はうまかったが最近の路線は、おでん焼き鳥という一杯飲み屋を裏ではじめた。七里のフリマーケットの元締め。

喜久屋
そばやで番犬の同級生のおやじがやっている。同級生は千葉でラーメン屋の主人だ。

柴田肉店
元々稲村はぶかで修行した主人が開店した。なかなかの元気者の主人で少々けんか早いがにくめないおやじだ。だいたい、肉は柴田と七里では決まっているのだ。ちなみに、ここの息子を家庭教師していたことがあった。

あらい屋
廃業してしまったが、ラーメン屋を最近までやっていた。その前は、八百屋をやっていて七里ヶ浜駅前のあらい屋の支店だった。むかしがきのころ、ここの息子と魚亭の主人とピエールが遊び友達だった。

須賀川電気
古くから有る電気屋だ。松下系のチェーン店だったが地元密着型でメンテナン
スもしてくれる。

日光屋
八百屋だった。すでに廃業した。ここのおやじは結構なインテリだったとのうわさだった。

玉寿司
寿司屋として王道を邁進しているお店である。お魚亭とは親戚筋であるがライバル店としてしのぎを削っている。しっかり者の女将と落ち着いた主人で切り盛りしている。
番犬は、ここでバイトをしていた時があった。結構、配達するといろんな物を貰えるんだよな。だいたい、菓子類だったけど。。

オーシャン美容室・じゅん美容室
なぜか、美容室は多いのだ。どちらも古いお店だ。

解説(JFN)
天六は最近までぼろぼろの建物は残っていたが、今は更地で珊瑚礁の駐車場になっている。それから忘れてはならないのは2WMS。ここのメンバーはほとんど出入りしていたお店。サトルくんの影響でコナセールに乗ったりしてました。とにかく休みの日は必ず顔を出してましたねえ。今はオクダスタイルという店を材木座でやってます。